そろそろ梅雨入りでしょうか、湿度が徐々に増してきました
心の中の湿度も増してきている感じです・・・ムシムシムシと
日本には四季が(春夏秋冬)とありますが
日本人の繊細な感覚はこの風土と気候によって、私達の本質は研ぎ澄まされてくるのかもですね
これぞ、「日本の文化」です
今日は、私の弟子時代の話です
あの頃は結婚をし、人生の門出である、自分の中でも「節目」という時代に
この道を歩む、と心に決めた頃でした
今、思えば、そういうアナログ文化に恵まれていた時代です
切り替えの時期に人生の節目を迎えていた私は、心機一転、自分を象徴する印鑑を購入したのです
社会人になった頃に、「生命保険の加入」の二番目あたりに「欲しいものリスト」として上げていたものです
だって、それは、印鑑って「大人の証」というイメージでした
私の両親は自営業を営んでいましたので、一般家庭の「パパ」「ママ」とは少し違った感覚の中で育っているという認識であります
何かある毎に「印鑑証明書」や「実印」という言葉が家の中で飛び交っていました
役所へ提出書類で必要だったので、親が朝から「今日は役所へ行って印鑑証明書を取りに行く」と言っていたのでしょう
子供っていうのは、親の言葉に聞き耳たてていますが、自分に不要な情報は入ってこないのですね
でも、今思い返しますと、そういった環境の下に居た私は、早くひとり前にならなくては!と
焦りを抱えていた子供、青年期を過ごしていたと思います
そんな中で、「結婚」という人生の切り替えの時に出会った印鑑です
嬉しいやら、なんやらと、自分の証であり、自分を象徴するもの
私の運勢と易を知り尽くした師から購入する、これが何よりも大きな喜びでした
購入タイミングが運勢の波とマッチしていて、その年の宝くじ前後賞が当選したり
運勢がグーンとアップした記憶です
あの時、心が動き、行動が増した、そんな感覚でありました
それから、相談者さんの幸せのしるしとして、この印の素晴らしさに惚れ込んで行き
皆さんの運勢の節目や再スタートを決めると言う時におすすめしていました
ある日、我が家は景気の波にさらされて、心がへし折られるような動揺の時期へ突入します
いわゆる、天中殺の時期でした
そんな時は、気持ちも不安定になり、そうすると体調まで悪くなり
何が何だかぐっちゃぐちゃになってしまいます
自分に言い聞かせ、「これではいけない!」「私は自分の運勢がわかるんだから!」と奮い立たせ、
奔走したのでした。それは「魂の声」だったかもしれません
そんなある日の出来事です
観葉植物の中に見かけない木の枝を発見します
よ~く見たら、なんと、トカゲです!!
うわ~って、驚いて、ひっくり返りそうになりましたが、なんとか持ち堪え
慌てて、夫を呼んできて、二人とも仰天です
2月のあの寒い時期に、ポトスの中でベッド感覚で気持ちよさそうに眠っていたのです
寒いところは可哀想だったので、ソファの後ろの温かな場所へ移動させました
時々、彼は目を覚まして私達夫婦の下に来て、じゃれ合ったりして、遊んでいました
私は、その時、この現象って何なのだろうか?と考えたのです
苦しい時に現れる人やモノからのメッセージに敏感になった瞬間でした
もう一度、易暦と私の運勢を見比べて、冷静に自分の鑑定を急いだのです
この時は、どうすれば好転するのだろうか
相手に委ねるばかりでは、絶対にうまくいかない
クヨクヨ悩んでも仕方がない
どう、どうすれば、と・・・・・・掃除しながら、好転する事を意識し
自分が出来ることを実践しようと決めたのでした
どうしても家族と一緒に1年間365日を過ごしていますと
その人のいい時と悪い時をとことん受けてしまうので
無意識の中で、それが良いとか悪いとか、家族と居ると良い判断が鈍ってしまうのです
では、私が上がれば、どうなるのか、そう思った瞬間に私は仕事机に向かっていました
家族がいい時もあれば、何だかいつもと変だと感じる時は
家族との波動のチャンネルを変えることだったのです
マイナスの波動は低く、調子の良い時は巻き込まれることが少ないのですが
バランスを崩しかけた時が・・・危ないのです
その中でも一番、何が効いたのか
それは、占術で習得した「吉方位へ行く」ことでした
一心不乱にその方位へ行き、日記を描きまくりました
自分と対話し、何が原因であるのか、誰がどういう作用を受けているのか、もしくは発信しているのか
そう調べる中で、答えを編み出したのでした
「自分が自分であることなんだ」と
これは深く自分の中に突き刺さりました
かなりの時間を要しましたが、あの時、あの出来事が無ければ
カナヘビに出会うことが無ければ、今の自分がただの占いというレベルだったと思います
そういった苦境が、私を強くさせたと思っていますし
家族でありますが、形だけの家族ではなく
本当にお互いが自立し合う、そういった構図によって好転するのだと感じた出来事でした
美味しいご飯を食べたり、美しい風景を見にドライブに行き、
喜びを共有する、し合うのも他人にはない感情です
でも、人間は生きていかなければならない、そういう使命の中に
その温かで居心地のよい場所に居すぎても、不毛な現象は起きるのです
それを、このままでいいと捉えるか、
先が見えてるならば、誰かが動き、その落ちた波動を上げ
摩擦があったとしても、それが幸せへの第一歩だったりするのです
摩擦は辛く、諸刃の剣ですけれど
そういった痛みによって、人は成長するのだと常に肝に銘じています